2010年9月9日木曜日

渋谷バブル建築の変遷 [2/4]

2010 年 9 月 9 日
Posted by 辻香 /東京大学生産技術研究所村松研究室協力研究員

第二回となる今回は、バブル期にまつわるストリートネタを書くにあたって、どうしても忘れたくない「ホコ天」ネタをまず書いておこうと思う。

代々木国立屋内総合競技場

渋谷名建築と言えば、丹下健三先生代表格「代々木国立屋内総合競技場」。私にとってあの場所の思い出と言えば「ホコ天」(歩行者天国)である。
1980年以降に産まれている人たちは、なんとなく知ってる~というレベルだろうが、これだけはどうしても外せない。



1980年代原宿駅を降り代々木国立屋内総合競技場へ向かうと、無数の円陣を組んだ人々が歩行者天国を埋め尽くし、大音量の音楽と人びとの歓声が聞こえてくる。
通称「竹の子族」と言われるディスコダンスに興じるもの達の集まりで、ホコ天文化の幕開けだった。
場所は代々木公園脇東京都道413号。(※上の地図での青い線の部分)
80年~90年代、2000人以上の竹の子族がライブパフォーマンスを繰り広げ、その後のロックバンドブームの基礎を作っていた。このホコ天出身で現在有名になった人も大勢いる。
当時海外から来た人たちは東京タワーよりも、TAKENOKOZOKUを見たがっていたが勿体ない。。。
そして、これらの竹の子族の写真の背景には大体、丹下大先生の「代々木国立屋内総合競技場」が写っている。笑

このホコ天は2001年9月1日にまことに残念だが廃止されてしまった。

その後1990年代くらいからは渋谷区、港区・目黒区・世田谷区との境目の道(ストリート)にバブル建築の姿が見え始めます。
つまり他区との文化混在が始まり、「道(ストリート)」による「シブヤ」「青山」「恵比寿」「代官山」「広尾」「原宿」エリアイメージが形成され始めたのがこの頃。エリアブランディングが率先的に行われた。
次回は9月28日になりますが、2回に分けて、ちゃんとバブル建築を元にストリートネタを書きたいと思います。

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